サイレントマニピュレーション
サイレントマニピュレーション
サイレントマニピュレーションとは
肩関節拘縮に対する革新的治療法
サイレントマニピュレーション(Silent Manipulation)は、超音波ガイド下頸神経根ブロック(C5、C6、C7)を用いて患者が覚醒状態で行う肩関節拘縮に対する治療手技です。
『Silent 』という名称は、関節包の剥離時に生じる音を最小限に抑え、患者の不安を軽減することに由来しています。
この治療法は、従来の全身麻酔下でのマニピュレーションに代わる安全で効果的な方法として、近年注目を集めています。外来での日帰り治療が可能で、患者さんの社会復帰も早期に実現できます。
従来治療法との違いと特徴
歴史的背景
肩関節拘縮(五十肩)は江戸時代末期から「長命病」として認識されてきました。
従来は全身麻酔下マニピュレーション(MUA)や関節鏡視下関節包切離術が主流でしたが、これらは入院が必要で患者負担が大きい治療でした。
サイレントマニピュレーションの⾰新性
- 外来日帰り治療:入院の必要がなく、当日帰宅可能
- 局所麻酔:全身麻酔のリスクを回避
- 超音波ガイド下:リアルタイムで神経や血管を確認しながら安全に実施
- 患者負担軽減:社会復帰が早く、医療費も抑制
- 合併症率の低さ:従来法と比較して安全性が向上
項目 | サイレントマニピュレーション | 全身麻酔下マニピュレーション | 関節鏡視下手術 |
---|---|---|---|
麻酔方法 | 局所麻酔(神経ブロック) | 全身麻酔 | 全身麻酔 |
入院期間 | 日帰り | 1‐3日 | 3-7日 |
手術時間 | 30‐45分 | 15-30分 | 60-90分 |
合併症率 | 3-5%(軽微) | 0.4-2% | 2-8% |
社会復帰 | 翌日から可能 | 1週間程度 | 2-4週間 |
適応‧除外基準
適応基準
- 3ヶ月以上の保存療法(薬物療法、注射療法、理学療法)に抵抗性の肩関節拘縮
- 日常生活動作の著名な制限(前方挙上100度未満、外旋10度未満など)
- 能動‧受動可動域制限が全方向にある
- ISAKOS基準による一次性肩関節拘縮(凍結肩)の診断
- 年齢:20-80歳(相対的適応)
除外基準
絶対的除外基準
- 変形性関節症など他疾患による拘縮
- 膠原病(リウマチ性関節炎など)
- 重篤な呼吸器疾患
- 局所麻酔薬に対するアレルギー
- 頸部の解剖学的異常
相対的除外基準
- コントロール不良の糖尿病(HbA1c > 8.0%)
- 抗凝固薬服用中
- 重篤な⼼疾患
- 高度肥満(BMI > 35)
具体的な手技の流れ
Step 1: 術前準備
患者さんを側臥位(患側を上)に設定し、超音波装置を用いて頸部の解剖学的構造を確認します。バイタルサインをモニタリングし、緊急時対応の準備を整えます。
Step 2: 神経ブロック
超音球ガイド下で前斜角筋と中斜角筋の間隙を同定し、C5、C6、C7頸神経根周囲に1%メピバカイン12-15mLを注⼊します。リアルタイムで針先を確認しながら安全に実施します。

Step 3: 麻酔効果確認
神経ブロックの効果を待ち、肩関節と肘関節の⾃動運動ができなくなったことを確認します。痛覚の消失も確認します。
Step 4: マニピュレーション実施
患者さんを仰臥位にし、以下の順序で関節可動域を段階的に拡大します
- 肩関節90°外転→90°外旋
- 最大外転→水平内転
- 最大内転後内旋
- 伸展位での内外旋
この過程を約3回反復



Step 5: 術後管理
30分間の安静後、バイタルサインを確認し、三角巾で2-5時間固定します。麻酔効果が切れた後、段階的なリハビリテーションを開始します。

治療効果(科学的エビデンス)
主要研究結果
Miyatake et al. (2024) – Scientific Reports
前方挙上:102.7°→160.5°(1年後)- 57.8°
外転:89.1°→160.6°(1年後)- 71.5°
外旋:22.4°→62.2°(1年後)- 39.8°
DASH score:31.8→10.2
Park et al. (2022) – Journal of Experimental Orthopaedics
前方挙上:98.8°→155.5°(3ヶ月後)
外転:75.6°→152.9°(3ヶ月後)
外旋:12.7°→45.9°(3ヶ月後)
全ての時間点で統計学的に有意な改善(p<0.0001)
Takahashi et al. (2019) – Pain and Therapy
JOA肩関節スコア:58.4→92.6(6ヶ月後)
患者満足度:85%以上が「満足」と回答
早期職場復帰率:90%以上が1週間以内
効果発現のパターン
治療効果は段階的に発現します。術直後から可動域の改善が認められ、その後、3ヶ月から1年にかけて機能面での改善が持続します。
疼痛の軽減は⽐較的早期に認められ、多くの患者さんで1週間以内に日常生活への支障が大幅に軽減されます。
安全性と合併症
軽微な合併症(一過性)
合併症 | 発生率 | 対処法 |
---|---|---|
血管迷走神経反射 | 2.9% | 安静、輸液で数時間で回復 |
一過性横隔膜神経麻痺 | 1-3% | 座位で呼吸困難改善、3-6時間で回復 |
パニック発作 | 1.5% | 精神的サポート、鎮静薬投与 |
一過性嗄声 | 1%未満 | 反回神経の一時的影響、自然回復 |
重篤な合併症(稀)
下方関節窩剥離骨折 | 1.2%(高齢女性に多い) |
腱板損傷 | 1%未満(MRI確認が必要) |
骨挫傷 | 約50%(多くは無症状、自然治癒) |
血管損傷 | 極めて稀(超音波ガイド下により予防可能) |
注意
これらの合併症は経験豊富な術者により適切な手技で実施することで最小限に抑えられます。
安全性向上のための取り組み
- 術前の詳細な画像診断(MRI、超音波検査)
- 術者の⼗分な経験と技術習熟
- リアルタイム超音波ガイドによる正確な穿刺
- 段階的な関節可動域拡大
- 術中‧術後の継続的なモニタリング
- 局所麻酔中毒に対する脂肪製剤の準備
特殊な患者群への配慮
糖尿病患者における特殊性
糖尿病患者315例の10年間追跡調査結果 Jenkins et al. (2012) – Journal of Shoulder and Elbow Surgery
治療効果 | 糖尿病群と非糖尿病群で可動域改善に有意差なし |
再施行率 | 糖尿病群36% vs 対照群15% |
⼀次性凍結肩の再発率 | 47%(二次性は0%) |
インスリン依存性の影響 | 依存群39% vs 非依存群31% |
糖尿病患者への特別な配慮事項
- HbA1c 8.0%未満での血糖コントロール確認
- 術前の内分泌科との連携
- より慎重な経過観察と早期リハビリ介入
- 再発リスクについての十分な説明と同意
- 定期的な長期フォローアップ
高齢者への配慮
高齢者(65歳以上)では、骨粗鬆症のリスクが高いため、より慎重な手技が必要です。また、認知機能や理解力を考慮した説明と、家族を含めた同意取得が重要です。
その他の特殊症例
- 血液透析患者:出血リスクを考慮した抗凝固薬管理
- 心疾患患者:循環器科との術前連携
- 呼吸器疾患患者:横隔膜神経麻痺リスクの評価
15年追跡研究結果
25患者(26肩)の平均15年追跡調査 Farrell et al. (2005) – Journal of Shoulder and Elbow Surgery
前方挙上 | 104°→168°(長期維持) |
外旋 | 23°→67°(長期維持) |
疼痛 | 84%で痛みなしまたは軽度 |
再手術率 | 5%未満(19肩中18肩で追加手術不要) |
機能評価 | SST 9.5/12点、ASES 80/100点 |
合併症 | 骨折‧脱臼などの重篤な合併症なし |
長期成績
長期成績の特徴
- 持続的改善:治療効果は長期間維持される
- 機能的満足度:90%以上の患者で日常生活に支障なし
- 再発率の低さ:適切な患者選択で再発率は10%未満
- 変形性関節症の発症:長期追跡でも有意な増加なし
- 対側発症予防効果:治療側の改善により対側の発症リスクも軽減
治療選択の指針
サイレントマニピュレーション
バランスの取れた第一選択肢
全身麻酔下マニピュレーション
神経ブロックが困難な症例
関節鏡視下手術
他の治療が無効、または複合病変例
ハイドロダイレーション
軽度から中等度の拘縮、高リスク症例
保存的治療
急性期、軽症例、手術希望なし
よくある質問と回答
神経ブロックにより肩から腕の感覚が麻痺するため、マニピュレーション中の痛みはほとんどありません。神経ブロック注射時に軽い痛みを感じることがありますが、数秒で終わります。麻酔が切れた後は、2-3日間軽度の痛みを感じることがありますが、鎮痛薬で十分コントロール可能です。
麻酔が切れる3‐6時間後から徐々に動かせるようになります。可動域の改善は治療直後から認められますが、最大の効果は1-2週間後に現れます。ただし、関節包が伸びた直後は炎症が起こるため、無理な動作は避け、指導されたリハビリテーションを段階的に行うことが重要です。
デスクワークなら翌日から可能です。重労働や肩を酷使する仕事は1‐2週間の制限をお勧めします。スポーツや重いものを持つ作業は、医師の許可があるまで(通常2‐3ヶ月)控えてください。個人差がありますので、主治医と相談しながら段階的に活動レベルを上げていきます。
全体の再発率は10%程度ですが、糖尿病患者では36%とやや高くなります。特に一次性凍結肩でインスリン依存性糖尿病の方は注意が必要です。再発予防のため、治療後も定期的な経過観察と継続的なリハビリテーションが重要です。
はい、健康保険が適用されます。3割負担の方で約7,000-8,000円程度が目安です。(処方箋料やその他検査料は含まれません)
安全性の観点から、両側同時の治療は行いません。片側の治療を行い、十分な回復を確認してから、対側の治療を検討します。両側性の場合は、より症状の強い側から治療を開始します。
年齢自体は絶対的な制限ではありませんが、全身状態や合併症を総合的に評価します。当院では65歳以下の患者様に限定しております。
15年間の長期追跡研究によると、治療効果は長期間持続します。90%以上の患者さんで、日常生活に支障のない可動域と機能が維持されています。ただし、加齢による影響や他の疾患の発症により、徐々に機能低下する可能性があります。
まとめ
サイレントマニピュレーションは、肩関節拘縮に対する安全で効果的な治療法として確立されています。多くの科学的研究により、その有効性と安全性が証明されており、患者さんのQOL向上に大きく貢献します。
ただし、すべての患者さんに適応できるわけではなく、適切な患者選択と経験豊富な術者による実施が重要です。また、糖尿病などの合併症がある場合は、特別な配慮が必要になります。
治療をご検討の際は、専門医による詳細な診察と⼗分な説明を受け、メリット‧デメリットを理解した上で治療⽅針を決定することをお勧めします。